不識庵の基本理念

不識庵は、哲学、歴史、文化、宗教、倫理などリベラルアーツ教育を通じて、大手企業の経営幹部の皆様が、人類文明の内実と世界の現状に対する理解を深め、以てより深みのある歴史観と大局観を確立されるよう支援するための研修機関です。さらに、自身のアイデンティティを確立するとともに、日本の立ち位置を世界に示し、グローバルな場において尊敬されるグローバル経営者を育成すること、そのお手伝いすることをミッションとする研修機関です。

すなわち、不識庵の役割とは、いわゆる狭義における経営スキルを教えるのではなく、リベラルアーツ教育を通じて、経営幹部の皆様が人間存在の意味を理解し、「物事の本質」を見極めることができるようになる「場」を提供することです。不識庵の研修は目指す目標が高いためにしばしば「厳しい」と言われてきましたが、そのような厳しい修練を経てはじめて高い見識が身につき、世界のトップ経営者とのコミュニケーションが可能になるものと信じております。

禅宗の始祖、達磨大師の教えにあるように、「物事の本質」は表面的な知識やスキルだけでは「識り得ないもの」(不識)であり、厳しい修行によってはじめて体得できるものです。不識庵における「修行」は、もちろん禅の修行とは異なりますが、哲学や歴史、文明論、文化芸術など、それぞれの道を極めた専門家との知的な対話、人間的な交わり、塾生間の切磋琢磨、広範な読書と日常的な思索の習慣などを通じて、「物事の本質」を見極める力を養っていただくという内容になっています。

人類文明史の視点から世界を見る

なかでも、グローバル・ビジネスの舵取りをしていくうえで、大きな文明的転換点にある現代世界の進展についての理解を深めることは不可欠だと考えます。20世紀型の発想で意思決定をしていたのでは致命的な失敗をしてしまうリスクがあります。21世紀の世界は20世紀までの世界とはおそらく根本的に異なると考えられるからです。

21世紀の人類文明のどこが20世紀までの人類文明と異なるのでしょうか。これにはAI、生命科学といったテクノロジーの可能性や新型コロナウイルスの感染拡大がもたらす影響など、多様な要素が絡み合っており、一言で言い切るのは難しいと思いますが、ここでは1点のみを取り上げてみます。それは、「地球の有限性」に対する認識がこれまでになく高まったということです。具体的には、気候変動や地球温暖化に対する世界の関心が高まり、これを無視し続けることはどの企業もできなくなりました。

実は、地球温暖化については、2015年のいわゆる「パリ協定」の場ではじめて、途上国も含む世界中の「すべての国が一致してその危険性を認識」しました。もちろん、トランプ大統領のもとでアメリカが離脱するなどパリ協定そのものは依然としてそれほどの強制力もなく、まだまだ課題は多いのですが、世界中のすべての国が「地球の有限性」を認識したことは画期的な出来事だったといえます。

これまでのグローバル資本主義のもとでの最大の「正義」は、資本の増殖のスピードを最大化することでした。いわば「無限の(富の)追求」が求められていました。しかし、いまや、この「無限の追求」と「地球の有限性」は激しくぶつかり合い、矛盾を露呈するようになりました。それが、気候変動や温暖化、あるいは、(ひょっとすると)新型コロナウイルスの発症の原因になっていると考えられます。

つまり、人類文明の転換の背景にあるのは、「地球の有限性」を人類は否が応でも強く認識し、それを日常の行動に反映させざるを得なくなったという現実です。企業にしても、単なる「資本の論理」に従った行動ではなく、「地球の有限性」を意識した意思決定が求められるようになるということです。それを体現した戦略を構想し、実現していく企業が21世紀に成功する企業だといっても過言ではないでしょう。

日本人は何故「自国のことを知らない」のか

自国のことを深く知らないということは、世界のことを深く知らないということに直結します。なぜなら、自国の歴史や文化について無知、無関心であれば、世界を評価する「基準」を持ちえないからです。無国籍の宇宙からやってきたような人物に対しては誰でも警戒するのは当然です。実際、外国で生活する場合、自国のことを話せず、自国を誇りに思えないような人に対しては、外国の人は警戒心を抱くことが多いようです。

日本企業がグローバル化する場合、絶対に避けなければならないことは、会社が実態として「無国籍化」してしまうことです。なぜなら、そうなってしまえば、日本企業が無意識に備えている日本企業としての「独自の強み」が消滅してしまうからです。長期的な信頼関係を重視する姿勢、丁寧で繊細なものづくり、独自の美意識など、多くの日本企業を支える「独自の強み」がなくなれば、グローバル・ビジネスで成功することはおそらく不可能だと思います。

なぜ日本人は日本のことを知らないのか。様々な要因がありますが、その一つは戦後における日本の教育の基本が「西洋中心史観」(日本は西洋諸国に比べ劣った国であり、従って、自国のことを学ぶより、先進国である西洋から学ばなければならないという歴史観)に基づいて組み立てられているからだと思います。そのため、学校教育の場においては、自国のこと(歴史や文化、伝統、国の成り立ちなど)を学ぶよりも、先進国である欧米のことを学ぼうという傾向が強いのです。

このため、日本は欧米や中国とどこがどのように違うのか、日本の歴史は諸外国と比べていかなる特徴があるのか、日本文化や日本的な価値の本質とは何なのか、日本人の宗教観は外国の人たちとどう違うのかといったごく基本的なことでさえ深く考えたことがない人が多いようなのです。こうなってしまったのは戦後日本教育が抱える大きな問題点だと思います。

「離見の見」(りけんのけん)という考え方

もちろん、このことは日本を美化するための復古教育を目指すものではありません。不識庵では、むしろ、日本人の刻んできた歴史、培ってきた文化を理解・評価し、それをもとに、「日本の競争力の根本にあるものは?」「日本文化の神髄とは何か、また、それは海外の文化とどう違うのか?」といった日本人なら誰でも答えられなければならない基礎的なテーマを考慮しつつ、研修プログラムを組んでいます。

もちろん、「日本的普遍」に値するものが仮に存在するとしても、それを他国に一方的に押し付けることはリスクがあります。他国には他国の歴史や文化があるからです。どうすればよいのか。その答えは私たちのリベラルアーツ研修の場で見つけ出していただきたいと思いますが、重要なことは、「日本的普遍」の良いところを生かしながら、新たな普遍的価値を他国の人々とともに創り上げていく「共創」という姿勢なのではないでしょうか。

『風姿花伝』を著した世阿弥の言葉に「離見の見」(りけんのけん)があります。これは役者の心得を述べたものです。すなわち、真に優れた役者は、客席にいる観客から見て自分がどのように見えているのか、という客の立場から見た自分を常に意識して演じなければならないという教えです。このような自分を客観的に見る力「離見の見」を持つというのは、グローバル経営に従事する経営者が心しなければならない心得と言い換えてもよいと思います。このような能力を磨くことによってはじめて世界の人々と深くて意味のあるコミュニケーション能力が身につくのではないでしょうか。そして、そのようなコミュニケーション能力こそ、グローバル・ビジネスを成功させる必要不可欠な要件なのではないでしょうか。

不識庵は、それぞれの分野における最高級の研究者、専門家、経営者の皆様の支援を得ながら、これまで長年にわたって蓄積してきたリベラルアーツ教育の経験を生かし、世界に通用するグローバル経営者を一人でも多く日本から輩出すべく、微力ながら貢献したいと考えております。

株式会社 不識庵
代表取締役 中谷 巌

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