不識塾
2017年12月1日

「江戸儒教の可能性― 伊藤仁斎をめぐって」講師:田尻祐一郎先生 東海大学文学部(文明学科)教授

講 師:田尻祐一郎 東海大学文学部(文明学科)教授
テーマ:「江戸儒教の可能性― 伊藤仁斎をめぐって」

 

 江戸の思想は儒学が基本であり、幕府の正当化(組織への絶対的な忠誠)のために主流となったのが朱子学だ。やがて水戸学(神国主義)、国学(一君万民)が生まれ、「天皇中心の国家観」が醸成され、近代主権国家体制が準備されていく。塾生からは「江戸の思想が現代日本人にどのような影響を与えたか」、時代背景、武士・商人・百姓に共通する道徳心等、近代化や日本古来の思想との関連で発表があった。
 今回はゲスト講師に田尻祐一郎先生をお招きした。
 近世の中国や朝鮮は皇帝や国王のもと儒教で武装した読書人と呼ばれる官僚たちが支配する国家であった。「修己治人(人文的教養を高め、社会の秩序を美しいものとして整える)」の理念を掲げ儒教的思想が不動の原理として国家・社会を支えてきた。
 一方、日本の歴史には科挙により権威づけられた読書人官僚はいない。日本の江戸時代の儒教は国家と強固に一体化していなかった身軽さゆえに、中国・朝鮮では社会的事情から十分に展開できなかった儒教の思想的可能性を自由に突き詰めることができた。
 朱子学は近世東北アジアの思想を支配していた。理(あるべき秩序の規範)は万人に内在し、孔子の言動を学ぶことにより、理の自覚をひたすら目指す「聖人、学んで至るべし」という朱子学の思想では人間の個性・価値観の複数性が失われていく。儒教は互いに分かり合える人間関係が前提とされ「他者感覚」に欠ける。
 その朱子学に懐疑の目を向けた伊藤仁斎(1627~1705年)は儒教の伝統的枠組み「五倫」を尊重しながらも、他者を他者として認め、共感と寛容を構想する人間学を打ち立てた。
 仁斎や本居宣長は、19世紀ヨーロッパ啓蒙思想(理性)批判と同じようなことをしており、比較思想的な意味合いがある。仁斎は、人の心と振る舞いと社会規範をどう秩序立てて成立させるかを考えていた。仁斎の人間が互いに理解するプロセスをつきつめていく生きかたは、アダム・スミスのシンパシー(sympathy)の議論に重なり、スミスの1759年『道徳感情論』に先駆けている。
 「人と人との繋がり」という、現代の我々にも通じる問題を考える講座になった。

 (中村真理)

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