不識塾
2017年11月21日

「仏教とやまとごころ」講師:長谷川三千子先生(埼玉大学名誉教授)

講 師:長谷川三千子 埼玉大学名誉教授
テーマ:「仏教とやまとごころ」

 

 日本人であることの探求とは、本居宣長が「からごころ」と呼んだ、何か必然的に我々本来の在り方を見失わせる機構の究明に他ならないのではないか。(『からごころ-日本精神の逆説』より)
 無自覚に外国崇拝をし、海外文化を無批判で受容し、そのこと自体を無視している。「からごころ」は外来文化の受容の仕方に止まらず、日本人の心の在り方の根本にも関わる問題だ。「からごころ」を辿っていくと「やまとごころ」になってしまうという「メビウスの輪」の構造は、表裏がはっきりしていないことが大事である。塾生からは「からごころ」と「やまとごころ」のメカニズムの解析、道元の思想から導き出される今後の日本の在り方について発表があった。
 今回はゲスト講師に哲学者の長谷川三千子先生をお招きした。
 今期、不識塾では初めて道元の思想をテーマに取り上げた。 著書『正法眼蔵』の「現成公案」、特に次の四文は道元の仏教に関する知が凝縮しきったものと考えられる。
①仏道をならふというふは、 自己をならふなり。
②自己をならふといふは、自己をわするるなり。
③自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
④万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。
 仏道を習う=自己を習う=自己を忘れる=万法に証せられる、とはどういうことで、心身脱落(道元が悟りを得たときの言葉)にどう繋がるのか。西洋哲学の認識の原理(自己をはこびて万法を修証する)が仏教的な考え方をするとなぜ迷いになるのか。長谷川先生は、この四文を、徹底的に掘り下げて考えていく。
 質疑応答では、宣長の「やまとごころ」と道元の仏教との親和性、道元の道徳律「諸悪莫作」等、講義について補足説明いただいた。まさに日本の哲学の講座となった。

 (中村真理)

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